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渉成園 前編

2007年1月21日


渉成園(しょうせいえん)は真宗大谷派の本山(真宗本廟)の飛地境内地です。
渉成園は周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)ともよばれています。




かつては門首の隠居所や避難所として用いられた東本願寺の別邸で、
平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、
奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原苑池の遺蹟と伝えられています。



その後、寛永18年(1641)徳川家光によってその遺蹟の一部を含む現在の地が寄進されました。江戸時代に二度の火災で建物はすべて類焼、現在のものは残念ながら明治初期に復興されたものです。


訪れた日は真冬の最中、草木も葉を落とし静寂の中 春を待っています。


西門を入って正面にまず目にはいるのがこの高石垣です。
石橋のような長い切石や礎石、石臼、山石や瓦など
多様な素材を組み合わせて築かれています。


渉成園の敷地は1万六百坪、大小二つの池と数棟の茶室があり、
約2万1千坪の敷地をもつ桂離宮によく似ています。


渉成園十三景の一つ滴翠軒と臨池亭です。

池に南面して建てられた右側が滴翠軒、左側は喫茶居と称す臨池亭です。
二つは吹き放しの廊下でつながっています。


池の東側に建つ石燈篭は檜垣の燈篭と呼ばれています。




庭園の北部に建てられた代笠席です。

煎茶席で、煎茶三席の茶店として位置づけられ、 東側には茶畑が植えられています。
代笠席の名前は人里離れた地を訪れた旅人が「笠代わりに」雨宿りする席という意味だそうです。



亀の甲の井戸です。

上から見ると亀の形に石組みが成され、亀の甲にあたる部分が掘り込まれて
中心に井筒が埋められ井戸となっています。





このあたりは丹楓渓と呼ばれ、秋には見事な紅葉を見せてくれるそうです。




紫藤岸。

回棹廊の東岸、印月池にせりだすように藤棚が設けられています。
この藤は野生の藤です。


獅子吼。

印月池北東岸の入り江奥にある石組みの注水口、獅子吼は「ししく」と呼びます。
印月池の水は古くは高瀬川の水が引かれていましたが現在は地下水です。


回棹廊。

北大島と丹楓渓とを結ぶ木橋が、
回棹廊安政の大火における焼失以前は
朱塗りの欄干を持つ反橋だったと伝えられています。



中央の唐破風屋根の天井には掛け釘が設けられ、
かつては夜半の来客の折、金燈籠を吊って火を灯したといわれています。


碧玉の石幢。

石幢(へきどう)というのは通常の石灯籠と違って、
笠の部分に蕨手と呼ばれる装飾が付いておらず、
竿に節が無いなどの特徴があります。

石燈篭でいう火袋にあたる部分は平面が六角形の仏像を安置するがんになっています。
碧玉の石幢は青みがかってはおりますが、なぜそう呼ばれるか解っていないのだそうです。


縮遠亭

印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室です。
その名のとおり、かつては上段から東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が
縮図のごとく見晴らせたといいます。





塩釜。

縮遠亭の建つ築山の北麓にある石組みの横穴、底に井筒があります。
その形が塩を製造する塩釜と塩屋に似ていることから塩釜と呼ばれています。
縮遠亭で茶会が催される際の水源でしたが今は枯れています。




塩釜の手水鉢です。

これは手水鉢の形式として全国にある塩釜の手水鉢の手本、いわゆる本歌とされ、
渉成園の景色として最も重要な物なのだそうです。
石造宝塔の塔身を手水鉢に転用した物で鎌倉時代のものです。



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